つげ義春を散歩する(調布編) 公式サイト
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はじめに1.中華料理 八幡2.ヘビ山3.天徳鉱泉4.調布駅5.旧赤線通り6.多摩川住宅7.ひなぎく荘
8.野川9.祇園寺10.水門11.河原12.京王多摩川駅13.酒井荘14.富士マンション
15.競輪場16.旧朝鮮人集落17.狛江大水害18.布多天神社19.角屋呉服店20.深大寺城跡
関連作品



17.狛江大水害    


「近所の景色」(『紅い花』に収録)に描かれている1974年の台風16号の様子。これにより多摩川の土手下にあった朝鮮人集落が浸水し、立ち退きを余儀なくされたとある。

1974年、9月1日、台風16号の豪雨で多摩川が増水。狛江(こまえ)市の二ヶ領宿河原堰(にかりょうしゅくがわらせき)にぶつかった流れが狛江市側に押し寄せ260mにわたって堤防が決壊。川岸の住宅19棟が濁流に飲み込まれた。この様子はTVでリアルタイムに中継された。

※写真:多摩川誌別冊


堤防が決壊した狛江市緒方4丁目付近。上流→下流方向に撮影。右手が多摩川。
この狛江大水害をモチーフに山田太一が原作・脚本を手掛け1977年に放送されたTVドラマが「岸辺のアルバム」。

【2006年2,3,4月撮影】


下記のページに岸辺のアルバムや水害の詳しい様子が書かれているので紹介させていただきます。
歴史〜とはずがたり〜 「実録『岸辺のアルバム』―狛江水害(多摩川水害)」


決壊時の空撮画像。上流(左手)からの流れが二ヶ領宿河原堰にぶつかり、迂回しながら狛江市側の堤防を削っている様子がわかる。

※写真:多摩川流域リバーミュージアムサイトより

削られた川岸の最深部がこのあたり。左の白い壁の家から奥の家々が流されたようだ。

当時の空撮写真を見ると、白い壁の家の手前にある古い平屋はぎりぎり助かったように見える。つまり2つの家の間に、激流によって作られた断崖があったようだ。

下流→上流方向に土手道を撮影。このあたりの土手がごっそりと流された。遠くに小田急線の鉄橋と多摩水道橋の一部が見える。

「近所の景色」に描かれている荒れ狂う多摩川。

河原の緑地にある「多摩川決壊の碑」。奥に見えるのが二ヶ領宿河原堰。

決壊時の空撮写真プレートが貼り付けられていた。土手がえぐられている様子がわかる。

下流→上流方向に多摩川を撮影。左奥に見えるのが二ヶ領宿河原堰。

二ヶ領宿河原堰を間近に撮影。1974年当時はここよりも40m上流にあった。 そもそもこの堰は、川崎方面の田畑に水を供給する二ヶ領用水に取水するために造られた。

1974年9月1日の夜に堤防が決壊すると、自衛隊と建設省(現国土交通省)は、川の流れを堰き止めている二ヶ領宿河原堰の爆破を決行。
堰はとても頑丈で計13回も爆破が行われた。調布周辺に何度も爆音が鳴り響き、近所の家の窓ガラスが衝撃でずいぶん割れたという。

※写真:京浜河川事務所サイトより

1974年9月の台風16号のすぐあとの11〜12月頃の空撮画像。河原も土手もすでに修復されているが、削られた部分がはっきりと確認できる。

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※写真:国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省


決壊最深部の拡大画像。

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※写真:国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省


青丸が堤防決壊の中心地。東京都狛江市緒方4丁目3〜4番地あたり。

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